Robert Farber

By the Sea

水の端から高くそびえ立つ赤い更衣所の列…人気のないビーチに見張りを立てるための孤独な木製の椅子…木製の柵の影に囲まれた穏やかな砂の山…険しい岩の後ろに突き出た遠くの灯台…これらが豊富なロバート・ファーバーのBy the Seaの刺激的な画像です。

 

1世紀前の印象派のように、ファーバーは時代を超越した、くつろぎの瞬間を捉えたぬくもりのある挿絵を作り出します。人間の海への親近感に鋭く同調し、彼の芸術を用いて、その環境の多くの側面を探索し、見る人に以前とは異なる目で海岸を観察するように余儀なくさせています。

 

ファーバーはヌード写真とファッション写真で最もよく知られていますが、ここで提示する画像は人の姿が支配的ではありません。それでも、海岸線を貫くビーチパラソル、ラウンジチェア、遊歩道、家、ボートなど、どこにでも人の手の感触があります。自然の素晴らしさの遠隔記録であるどころか、これらは暖かく、それらを見るすべての人の反応の良い和音を打つ身に沁みる画像です。

 

また、写真は水と浜だけを褒め称えるものでもありません。ファーバーの洞察と彼の主題の多様性の両方の尺度であり、彼は最初は海とは無関係に見えるかもしれない画像をリンクすることができます。海辺の建物の荒廃した壁。果樹が満開で、活気にあふれています。

 

どんなに意味のあることでも、ファーバーの印象は、By the Seaのページを飾る唯一のステートメントではありません。本全体を通して、海に何らかの形で触れられた人々の考えやコメントによってイメージが強調されています。アン・バンクロフトとウーピー・ゴールドバーグからマリブのライフガードまで、エルテとオノ・ヨーコからメキシコの宿屋の主人まで、彼らの雄弁さは、この本を並外れた写真のコレクションから、自然界で最も永続的な関係の1つである人と海の絆へのオマージュに変えます。

 

 

印象派に関連する官能的な感触とロマンチックなムードを「描く」のに役立ったので、この本のすべてを撮影するためにアグファカラーフィルムを選びました。

 

                            ロバートファーバー

技法もさらに軽やかに。

ペインティングから、モノプリントへ。

これらのLightness of Beingモノプリントシリーズ は、1年以上かけて私の頭の中に浮かんだ一つのコンセプトやアイデアを、形にした特別な作品たちです。ずっとあたためてきたアイディアをどのように形にするか、じっくりと歳月をかけてイマジネーションを膨らませてきました。私がフォーカスしたのは、色とテクスチャーです。NYのスタジオにてアメリカ製のエッチングプレス機を使い、立体的に表現することと独自のテクニックを組み合わせて創作した最新作です。ここにあるモノプリントシリーズは、ひとつの立体テクスチャーの型をもとに、私の手でひとつひとつの版に描画し、ストラスモア社の紙へと転写したもので、1枚1枚が唯一無二であり、それぞれの作品が1枚限りの原画作品です。

おもてなしのツールとして、大人の知的な遊びとして、

本物のアートを飾ってみる。

VIGLOWAは、インテリアに合うアートを提案しています。インテリアショップで扱っているフェイクとは違い、本物のファインアートです。その違いは、アーティストが自分の人生のステートメントやテーマを作品に反映できているかどうかです。最初は、作品だけを鑑賞して何かを感じてもらえれば良いと思っています。さらにステートメントを読んで、日常の中にその作品が置かれていると、観るたびに共感性が芽生えてくることでしょう。また、アダム・ウェストンのアートは、おもてなしとして、とても大事な役割を果たします。例えば、お客様がいらして、「このアートは何を表現しているのかしら?」という疑問に応えられるかどうかです。あなたは、どう応えますか?「さあ?」と応えたら、そこでおしまい。もし、「アダムの作品には、こういう意味があって...」と応えられたら、あなたのインテリジェンスの格がワンランク上がるでしょう。 

Adam Westonからのメッセージ。

才の頃から絵を描いている私ですが、6才のとき、生死をさまよう大事故に遭いました。この体験は、私に命とは何か、そして地球上に存在しているすべての物事との関連性に興味を持ち始めました。その後、葉脈や、木の根、海の中の珊瑚、神経細胞、血管...。これらに繋がる一連の模様に感心を抱き始めたのです。命あるものすべて(地球、宇宙など含め)はある模様によってつながっているという事実。私の作品ではこれらを通してすべてのつながりを表現しています。

両親が離婚後、NYを離れアメリカの最果ての地、メイン州イーストポートで過ごしました。そこで味わった大自然、そして最近訪れるようになったハワイ島、オアフ島。これらの自然から得た学び、エネルギーを作品に注いでいます。

2003年、日本人の妻と結婚し、拠点をNYから日本の香川県へと移しました。そして、私の作品に大きな影響を与えてくれた漆塗りと運命的な出逢いをしました。自然界で行なわれる侵食と蓄積というプロセスという命の息吹を私の作品にも吹き込むため、色を何重にも重ねては削るという行程を取り入れるようになりました。偶然、香川県に住むようになり漆と出逢い、大きなギフトをいただきました。

NYで育った私ですが、父の影響で日本文化とは切っても切れない関係で結ばれており、日本の芸術から多大な影響を受けて育ちました。日本に古くから伝わる自然崇拝、そして、北斎などの芸術にも大変興味を持ち影響を受けて育ちました。私が日本からいただいたものは数知れません。自然や生命、地球に対して敬意の念、そして感謝の気持ちを作品をとおしてみなさんと共有していきたいと思っております。

地球から遠く離れていると思われる宇宙空間。そして私たちの身体と心。

私の創作における最大の興味は、これら遠く離れたマクロとミクロの世界が、
切っても切れない関係で結ばれているということです。

そして、私の好奇心の向く先は、これらに繋がる一連のテクスチャの神秘です。 
銀河、大空に走る稲妻、大地に根を張り命を育てる木々、葉脈、海の中の珊瑚。
そして、私たちの身体を流れる血管、神経細胞...。

これらに繋がる一連の有様。すべてのものは、ひとつで繋がっているという神秘。
無限大に、そして永遠に宇宙の果てまで続いて行くフラクタルテクスチャ。
我々と宇宙は一体である。

                            アダム・ウェストン 

アダム・ウェストンは、ハワイと日本の高松を拠点にスタジオを持ち、制作活動を行っています。この写真は、ハワイでの制作風景です。スタジオにはギャラリーが併設されており、主に大型作品を展示してあります。 

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アダムの技法は、ジェッソで凹凸のある下地を作ります。それから、アクリル絵の具を使いペインティングして、乾いた後に表面をこすり拭き取ります。この作業を深みのある色が出るまで繰り返します。

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NYの大都会から、日本人の奥さんの出身地に移り住んだアダムは、屋島から見た瀬戸内海の風景がお気に入りのようです。ここからも物質主義よりも精神性を追求しているアーティストといえます。 

アダム・ウェストンの魅力と作品の見どころ。

私の好みのアーティストは、人間性が良いことが絶対条件です。アーティストは、作品を生み出す生みの親だからです。その親の精神性が間違ったものであれば、作り出された作品にも悪い波動が乗り移り、その作品を購入した人は生活の中で、知らず知らずのうちに悪い波動を受け取っていることになります。人間の肉体の表層には、エーテル体、アストラル体、メンタル体などの気体を発していて、これが波動となって空気を伝わり、いろいろなモノや人に影響を与えます。アダムと奥さんの千寿さんと長い時間をかけて、交流を深めていくと少しずつ分かってきたことがあります。それは、何時間でも話していても話がつきなく、その時間をとても心地良く過ごせ、かけがえのない時間を共有できることです。私と同じグラフィックデザインの仕事をしながら、ニューヨークで同時代を生きてきたアダムから、日本で思いを馳せていたニューヨークのアートや、音楽などの話を聞けることが、間接的ではあるけれどすごくエキサイティングなひと時なのです。

アダムの作品の見どころといえば、彼の生い立ちや原体験に基づいた生命、大地、宇宙とのつながりがテーマになっていることです。彼は、子供の頃に交通事故で九死に一生を得たといいます。このことが、きっかけで生命ということに執着しているのではないかと思います。銀座でアトリエを開いていた彼の父がニューヨークにお土産に持ち帰ってくれたカッパの人形や北斎の画集など、子供の頃から日本に慣れ親しんでいたといいます。両親の離婚により、父との別れ、さらに母に連れられ世界中を周り、アメリカに戻って厳寒な大地での生活が人間形成の源になったに違いありません。

日本人の千寿さんがニューヨークに留学中にアダムと出会ったのも必然だったのでしょう。アダムの作品に現れるフラクタルテクスチャが、彼の父がたどってきたその運命を物語っています。フラクタルの一例として、自然界にある樹木が幹の枝分かれに似ていて、小枝の分岐にも似ており、さらに葉脈の広がりにも似ているという自己相似のことをいいます。彼が描く抽象絵画は、その自己相似を用いて、自己の人生に照らし合わせているのかもしれません。長い人生のサイクルの中で、良いこともあれば、悪いこともある。この葉脈のように枝分かれして、常に人生の岐路に立たされ選択するのは自分自身なのです。まるで、自分の人生をアダムの描く一枚の絵画の中にもう一人の自分が俯瞰で見ているようです。現在は、その枝の一部であり、その先にあるものが未来であり、この一枚の絵の中に封じ込められているものが一人の人間の人生なのだというふうに感じ取ることもできます。色は、人それぞれのアイデンティティーなのでしょうか?

そのように見ると抽象絵画というのは、何度も見ても飽きないですね。その日の気分によって、違う受け止め方できるのは、きっと絵と向き合った時の自己投影なのだと思います。

生活の中に、アダム・ウェストンの作品を取り入れると、常に自らをリセットさせてくれ、正しい方向へと人生を導いてくれるでしょう。VIGLOWA 篠原英智