父は一家の暮らしを支えてきた。アンディが大学に2年間通えるだけのものを残した。家の支払いも済ませたし、銀行預金もあった。一介の建設作業員で貯金をし家族を養うのは大変なことだ....今だって2倍や3倍の収入を得ていながら家族を養いきれないという人間は多い。家族をどうやって養ったらいいか、わからないんだ。
ひたすら金を儲け、貯蓄に励むというアンディの金銭的執着は、母から受け継いだものだった。1950年代にニューヨークに出て自活し始めたとき、友人たちの間でアンディはけちだという評判がたった。ある友人いわく「あいつは人にコカコーラ一杯おごったことがない。いつでも割り勘だ」アンディは友達をうまく利用し、友人たちもなんとなく協力せざるをえなくなるのだった。
だが、1960年代の初め、詩人の卵や芸術家志望の若者といったほんとうに持たざる者がまわりに集まってきたとき、アンディは財布の紐をゆるめ、ファクトリーをはじめ社交場となっていたさまざまな場所を維持するために多額の金を出した。近所の店(マクシズ・カンザスシティ)は画家や詩人やアングラ映画関係者の溜まり場になっていたが、アンディはファクトリーに出入りする連中がその店でツケにした食事代を払ってやり、自分自身の買い物にもしばしば法外な金を使った。
参考文献/「伝記 ウォーホル パーティのあとの孤独」フレッド・ローレンス・ガイルズ著 野中邦子 訳