高崎 勉

silhouette

影絵

競い合うようにビルが立ち並んだ都会の暮らしの中で、その隙間から偶然差し込む光と影に時折、目を奪われる。高層階に位置する和風の店内で食事をしていた 或る日の夕暮れのこと、向いのビルの窓ガラスに反射した夕陽が空中庭園の植物を照らし出し、障子戸にシルエットを投影させた。非日常的な浮遊した空間に身を置き、落ち着かない気分で時間を過ごしていたが、その光景を目にした途端、懐かしい気持ちが込み上げて心が安らいだことが暫く忘れられなかった。
  
名所を巡って建造物の障子に映る光景を探してみるのも悪くないかもしれない。
しかし僕は一辺1mの紙を張った木枠(擬似障子戸)を携えて、遮蔽物の少ない郊外を歩き回った。


珍しい草花や面白い枝葉を探すのではなく、子供の頃から見慣れた雑草や木の枝の影を、その紙に投影して撮影した。影絵(silhouette)となって現れたその姿は、 直接風景を捉えるよりも心の奥底に眠る風の匂いを呼び起こす。すっかり葉を落としてしまい、かろうじて生きているかのように見える冬の植物たちだが、輪郭が際立ったせいか逆に生命力が強調され神秘的に感じることができた。


それは風や空気や匂いさえもその平面の中に凝縮してしまったからかもしれない。別段、情緒的な家屋で暮らした経験があるわけではないのだが、この体験は僕の心の奥底に眠る郷愁を優しく刺激した。それは民族の記憶ともいえるのだろうか。今春、この国の地盤を大きく揺り動かす事態があったからか、それともただ単にアスファルトやコンクリートに辟易してしまったのか、風や、土や、草花を身近に感じていたいという願いが強くなってきた、この頃である。

                               2011年 高崎 勉

心の奥底に眠る風の匂い。

影絵というと幼い時の遠い日の記憶を呼び覚まします。テレビゲームなどない時代、大人は子供達に両手を組み合わせて、いろいろなシルエットを壁に映し出してくれたものです。 日常の世界では影は脇役ですが、影絵になると影が主導権を握り、眠りから覚めた生き物のようにいきいきと動き出します。 目を閉じると、草原の中に自分が気持ち良さそうに佇んでいる光景が見えます。両手を広げて手を仰ぐと、閉じた瞼の裏側に光を感じるさまざまなシルエットが浮かび、ノスタルジックな世界に浸っていると、心地良いそよ風が頬をかすめていくことでしょう。 

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EXHIBITION

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