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高崎 勉

Life

儚く、朽ちてゆもの。

都会で過ごした時間が故郷での年月を超えようとした頃、緑に溢れる街に移り住んだ。四季の移りゆくさまを改めて体感し、慌ただしく駆け抜けてきた20年を思い返し、否応無しに「生きる」時間について考えさせられる事になる。折しも不況の影が自分にも差し掛かり、不安と引き換えに多くの時間を得たその冬、いつになくゆっくりとした足取りで郊外の森を散策した。他の季節が持つ彩りを放棄した、静かで美しい風景の足下を描いているのは多様な木々の枯れ葉たち。そのひとつを手に取ると不思議な温もりがあり、得も言わぬ愛着を感じた。一見、平面的に見える葉脈も機能的に曲線を描き美しい。枝分かれしていく葉脈はその母体となる樹木の縮図のように思える。その美しさに惹き付けられ、幾つか持ち帰り夕暮れの窓辺で撮影した。そして数日後、少しだけ寄り道してもらった彼(彼女)たちを同じ森に戻した。それらはやがて風に舞い散り、土に還ってゆく。その色彩は一様に土の色に同化してゆく。それぞれの役割を果たしたものたちの姿には究極の「美」が凝縮されているように思えてならない。そしてそこには、私たちがこれからどう生きて行かなければいけないかという原始的な課題が表れているように思う。


自然に逆らわず、その流れの中で目的を遂げながら時を経てゆくものには、美しさが宿るようだ。人間にも同じことが言えるかもしれない。普段、舗装された道に舞い落ちる街路樹の枯れ葉に目を向けることもなく、ただ生き急いできた歩みを、時には緩めても良いのかもしれない。  高崎 勉

今にも朽ちていきそうな瞬間。

儚いモノと美しいモノは、共存しているようだ。薄くて透明感があり、一握りで割れてしまいそうなガラス細工。ふわふわと宙を舞い、いつかは割れて弾け飛んでしまうシャボン玉。枯れ葉もそのひとつに思えてならない。真夏の太陽を燦々と浴びる青葉は、強風が吹いてもたくましくしっかりと枝にしがみついている。その青葉が枯れ葉になる頃、葉脈がレースの編み物のように繊細な造形物となる。掌に枯れ葉を乗せてみると、かさかさと音を立てて壊れてしまいそうだ。この朽ちていく過程が美しいのかもしれない。

EXHIBITION

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