カーネーギー美術館のホールで土曜日ごとに開かれる絵画教室の特待生に選ばれたのは、ホームズ小学校に通っていたころである。その絵画教室はタマシャンター・クラス(画家がよくかぶったベレー帽にちなむ)と呼ばれていて、5年生から10年生までの才能ある生徒しか選ばれなかった。
クラスに参加した生徒はのべ数百人におよぶ。教鞭をとっていたジョセフ・フィッツパトリックはいう。「指導は厳しかったが、生徒はついてきた....教室はしんと静まって、針の落ちる音まで聞こえそうだった」たいていは午前中に仕上げる課題をフィッツパトリックが説明したあと、生徒たちはクレヨンと画板を出して製作に取り掛かるという具合だった。アンディはどんな生徒だったのだろう。フリッツパトリックによれば「彼のスタイルはとても変わっていてユニークだった....最初から、実に独創的だった」という。一番うまくできた生徒が一人だけ選ばれ、みんなの前に立って作品を見せるのだが、アンディはしばしばその栄誉に欲した。
参考文献/「伝記 ウォーホル パーティのあとの孤独」フレッド・ローレンス・ガイルズ著 野中邦子 訳